- 戦後の食糧難の中、昭和22年に現会長の田中正美が食肉の小売店を創業。田中会長の父、祖父も食肉の卸売業を営んでおり、食肉にかけては3代目であった。
食肉小売業の経営は順調であったが、当時からコロッケが好きだった田中会長は、惣菜屋で売っているものに満足できず、美味しいコロッケを自分で作ろうと決意し、昭和24年頃から独学で研究を重ね、昭和32年から本格的にコロッケの製造に乗り出した。「昭ちゃんコロッケ」の誕生である。
- なぜ、名称が「昭ちゃん」なのか、昭ちゃんコロッケのファンでも答えられる人はほとんどいない。むろん田中会長の名前ではない。
名前の由来は、田中会長の弟が当時のど自慢で有名で「昭ちゃん」と呼ばれていたこと、田中会長が漫画の「昭ちゃん冒険」が好きだったことで、なじみやすい名前で気に入ってつけたということである。ちなみに「昭ちゃんコロッケ」という名称は、食品部門の商標登録として正式に認可を受けたものであり、勝手には使えない。
- 山口では「昭ちゃんコロッケ」の美味しさはすっかり知られるようになっていたが、全国的に「昭ちゃんコロッケ」の名前を一躍有名にした出来事が昭和62年に起こった。
東京晴海の国際見本市場で開催された「全国食肉産業展」の「全国手づくりコロッケコンテスト」で数多くの応募の中から「金賞」を受賞したことである。
このことは「昭ちゃんコロッケ」が味が全国的に高い評価を受け、認められたことであった。
また、長年にわたる田中会長の味へのこだわりが実を結んだことでもあった。
- 「全国手づくりコロッケコンテスト」で金賞を受賞した反響は大きく、今後数多くのメデイアに取り上げられるようになる。
NHKが「日本列島ただいま6時」で大きく取り上げたほか、地元放送局も頻繁に取り上げた。また、テレビだけではなく、購読者の多い女性誌の「女性自身」においても取り上げられ、マスメデイアに登場する回数が増えるにつれ、「昭ちゃんコロッケ」の人気は全国的に広まっていった。
- 金賞受賞、マスメデイアへの登場により県内外の広範囲からの注文が多くなり、受注に対応するため、化粧箱つめ冷凍コロッケの販売に踏み切った。
10個入りパックを3個詰め合わせ、発泡スチロールの箱に入れ、デザインケースでくるんで全国へ発送した。この通販の開始によりさらに「昭ちゃんコロッケ」の味は遠くのファンを作っていった。
- 全国的に「昭ちゃんコロッケ」の名前が知れるにつれ、県内外からの受注に対応しきれなくなったため、製造機械のオートメ化による生産増強のため平成4年に工場を拡充した。
この拡充によって、「昭ちゃんコロッケ」の生産量は飛躍的に伸びた。